ナマステ、旅ブロガーのファインです。
日本人にとってインドで一番有名な人物と言えば「マハトマ・ガンディー」ですよね。
マハトマとは、「偉大なる魂」という意味で、実は本名ではありません。
本人はそれを嫌って「バブージー(お父さん)」の愛称を好んだみたいです。
本名は「モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー」です。
彼は日本以外でも、世界的に崇められていると言っても過言ではありません。
「20世紀で最も影響力のある人物100人」にも選ばれているのですから。
インド独立のために尽力した功績は、教科書にも登場し多くの人に知られています。
またインド国内では、貨幣に肖像画が使われていたり、彼の誕生日が祝日になったり、
神格化されている一方、黒い噂もあることを知らない日本人は多いみたいです。
ということで、今回は「マハトマ・ガンディー」の本当の姿について語ります。
南アフリカ・インド人会議:South African Indian Congress
1924年、南アフリカ共和国の「ナタール」で設立された組織です。
通称:ナタール・インド人会議
ガンジーが、乗車拒否などの経験から差別を受け、政府と戦うために設立されました。
皆さんご存じの「非暴力」「不服従」の思想はここから始まっているのです。
ガンジーが22年間も南アフリカに滞在した事実を知らない人は多いかもしれません。
ラージ・ガート:Raj Ghat
ヤムナー川のほとり、前回紹介した「ラール・キラー」の裏側にある墓地です。
ガイドブックによっては、ジャムナ川Jamuna Riverと書かれている場合もあります。
英語表記では「Yamuna River」と書かれており、ガンジス川最大の支流です。
1948年1月30日ヒンドゥ教徒に暗殺されたマハトマ・ガンディーが眠っています。
「ラージ・ガード」は、ガンディーの遺体が火葬された場所です。
現在はインド国民の憩いの場所として記念公園となっています。
デリーに初めて訪れる方の多くは、
「汚い街だなぁ」
との印象を抱くでしょう。
そんな汚い街が嫌いな方は
「ほっ」
とする綺麗に整備された公園です。
暗殺された場所は、ここから5kmあります。
ラージ・ガート周辺に、オートリクシャーのドライバーが声をかけてきます。
「ガンジーが暗殺された場所へ行きたくないか?」
「日本人が好きだから、特別に安く連れて行っているぞ」
もちろん、彼らの言っていることは99%嘘です♪
彼らの本心を訳すと
「日本人からは3倍の運賃をぼったっくってやる」
ですから。
ちなみに、ラージ・ガード内の黒大理石の慰霊碑があるエリアは土足禁止です。
デリーの日差しを浴びた大理石の上を裸足で歩くと、かなり熱く感じました。
78歳で亡くなったガンディーが最後に
「おぉ神よ」
と言った言葉が刻まれています。
彼は、子供の頃は決して周囲から尊敬されるような人物ではありませんでした。
同級生から話しかけられるのを嫌い、遅刻ギリギリに登校していた内気な少年だったのです。
勿論、下校の時も一目散に帰宅するような行動が目撃されています。
18歳で、法律を勉強するためにイギリスに留学し、弁護士になっています。
入場無料
営業時間:6:30~18:00
アクセス:Access
最寄り駅:バイオレット線ジャマー・マスジット(Jama Masjid)駅
距離:約2.4㎞
所要時間:徒歩20分
最寄り駅:バイオレット線デリーゲート(Delhi Gate)駅
距離:約1km
所要時間:徒歩14分
国立ガンディー博物館:National Gandhi Museum
ガンジーは、1869年10月「ポルバンダル」でやや裕福な平民として生まれました。
この博物館は、写真展示や遺品を中心に展示されている2階建ての簡素な建物です。
最期の日に身に着けていた白い布は、血痕がついたまま展示されていました。
犯人は、ヒンドゥー至上主義者ナトゥラム・ゴドセ(Nathuram Godse)です。
カースト制度の最上位バラモンの位で、ガンジーを銃弾3発で殺害した人物です。
展示されている若き日のスーツを着たガンディーの写真に、つい2度見してしまいました。
白い布をまとったガンディーしか知らない人は本当に同一人物かと驚きますよ。
彼は、意外と言ったら失礼でしょうか、かなりイケメンだったのです。
敷地内にある足跡をたどると、ガンディーが暗殺された場所へとたどり着きます。
神聖な場所なのでしょうか?
屋根があり、ファインが訪れた時は入場できなくなっていました。
個人的には、電話でガンジーの声が聴けるといったものが一番興味をそそりました。
営業時間:9:30~17:30
料金:無料
定休日:月曜
上記の「ラージ・ガート」から徒歩8分
ガンディーはあまり尊敬されていない?
日本人のガンディーに対するイメージは、「塩の行進」や「非暴力」「不服従」です。
インド独立の父と言われ、インドで尊敬されていると思っている日本人は多いでしょう。
誕生日10月2日が祝日になったり、インド紙幣に使用されているとそう思いますよね?
しかし、実際のインドでは日本人の想像とは異なるかもしれません。
<ガンディーが尊敬されていない理由>
①ガンディーを殺害したゴドセーの神社が作られている(現地では尊敬されている)
②子供のころは不良で、タバコや盗みもするような素行の悪い人物だった
③裕福な家庭の次男で、召使いのお金を盗む行為をしていた
④成績も悪く、ヒンドゥ教で禁止されている牛肉を食べていた
⑤極度のセックス中毒者で、父親の介護中もセックスをしている間に亡くなった
⑥13歳で結婚し、妻を許可なく外出を禁止し軟禁した
⑦結婚後も、独身と偽り女性遊びが盛んだった
⑧「インド人は黒人よりはるかに優れている」とアフリカの黒人差別発言した
※黒人差別発言が問題になり、アフリカではガンディー像が次々と撤去されています。
⑨カースト制度に賛成した
⑩カースト制度でガンディーは「ヴァイシャの階級」で高い階級ではなかった
⑪パキスタンを分断させ(後にバングラデシュも)インド統一独立に失敗した
⑫宗教間の争いをなくそうとしていたため、イスラム教徒と寛容に接していた
⑬ガンジー崇拝者から、色々と恩恵を受けるので仕方なくガンディー派になっている
⑭第2次ボーア戦争(イギリス対南アフリカ)に、イギリス軍の一員として貢献した
⑮第1次世界大戦で、イギリス軍として約150万人のインド人の義兵を集めた
上記の理由以外にもたくさんあるのですが、事実か微妙なので一部のみ抜粋しました。
ガンジーの孫で「ラジモハン・ガンジー」も、
「黒人に対して、無知で偏見があった」
とマハトマ・ガンジーの上記に記した行動を認めています。
2016年ガーナで、ガンジーの銅像の撤去を求める請願が殺到したニュースをご存じでしょうか?
2018年には、実際に学生と教授たちにより彼の銅像が撤去されています。
また⑤~⑦の理由で、女性からの人気はとても低いです。
修行目的と称して、若い女性を呼び、一緒に寝たりしていました。
これらの女性は、処女であったり、孫くらいの年齢層だと伝えられています。
彼女たちは、裸でガンジーに体を重ねているということから、
「何の修行なのか?」
と疑問を抱き、これらの行為を辞めるように諭す弟子たちもいたみたいです。
また、治安が悪いエリアで女性にお使いを依頼し、暴行事件が頻繁に発生させてしまった事実も多くの女性たちから批判されています。
彼は、13歳で結婚したことは授業で習った方もいるでしょう。
しかし、妻を軟禁するほどの愛妻家だったというわけではありません。
カレンバッハという、同性の恋人の存在は授業では教えてくれませんでしたよね?
1908年、カレンバッハと過ごすため、ガンジーは軟禁していた妻を捨てているのです。
彼との2年間の同棲生活で、恋人状態の手紙が残っています。
これらの史実は、インドを旅しているとガンジー否定派から時々耳にしました。
非暴力・不服従と真逆の行動をしているから、非難されても仕方がありません。
塩の行進:Salt March
イギリス植民地時代に、塩の専売に反対し塩をインド人が作ることを目的とした行動です。
塩をイギリス人だけが作れるというルールに従わず、インド人たちで塩を作る目的で、
アフマダーバードからダーンディー海岸まで386kmも行進した抗議行動のこと。
1930年3月12日から4月6日までの24日間、ガンジーは非暴力を貫きました。
塩の行進はインド独立運動のきっかけとなり、ノーベル賞に5回ノミネートされたのです。
<塩の行進のテーマ>
①非暴力
②不服従
この2つを貫き数十人から数百人、そして海岸に到着するまで約10万人まで増えたのです。
海岸に到着して、塩を作り始めたインド人に対して、イギリス人が暴力で阻止しました。
ガンジーが世界中の記者を呼び、無抵抗で殴られる光景を記者たちに見せ続けたのです。
24日間暴力を無抵抗で受けながら歩き続けたニュースが、世界中に流れました。
<ガンディーの手紙>
塩の行進を始める前に、インド総督に出した手紙の一部です。
もし私の手紙があなたの心に訴えることができなければ、今月11日、塩法の規定を無視するために、私アーシュラムの同僚たちと一緒に行進します。私は塩の専売制度を最も貧しい人々の観点から邪悪な法律だと考えます。独立運動は本質的にこの国で最も貧しい人々の為にあるので、独立運動は悪法という悪に対して始められるのです。
ガンジーは、平等を訴えた塩の行進の裏では、カースト制度を擁護していました。
不可触民出身初の法務大臣「アンベードカル」がカーストを廃止する憲法を作った際に、ガンジーはカースト制度を廃止することに反対している矛盾があるのです。
これらの言動から、多くの不可触民から反発を買ったことは想像できますよね?
この不可触民の反発に対して、ヒンドゥ教徒から不可触民への仕返しが起きています。
このことから、現在でも不可触民からガンジーに対する不人気は健在です。
不可触民については、以下の記事を参照してください。
糸を紡ぐ行為
彼は弁護士のスーツを脱ぎ、伝統的な白布のKhadi(カディ)を身にまといました。
当時のイギリスは産業革命の絶頂期で、機械で安くて質のいい服を大量に生産していた時代です。
英国製品の不買運動では、6,000人以上が投獄される事態となりました。
ガンジーが自らチャルカーと呼ばれる糸車で手紡ぎしたインド独立運動の象徴です。
歴史の教科書で、ガンジーが糸を紡ぐ写真を見たことある人も多いでしょう。
ただ、この写真の意味を知らずにインドを訪れると印象が変わるかもしれません。
これは、イギリスの大量生産の安い服を買わない、との不買運動の意味が込められています。
この行動は、インドの手仕事と伝統を取り戻す強い信念が込められているのです。
つまり、インドを自分たちの手に取り戻すためのインド独立運動の大きな抵抗なのです。
<ガンジーの残した言葉>
「Khadi is not just a cloth. It is thought」
翻訳:カディはただの布ではない。思想である
ここまで読んでいただきありがとうございました。
追伸
今回ご紹介した「マハトマ・ガンジー」について、いかがでしたでしょうか?
激しい差別に弁護士として戦ったガンディーが、尊敬されていないわけではありません。
ローラット法(逮捕状なしに逮捕し、裁判なしに投獄できるイギリスが定めた法律)に
断食と祈りで闘ったことは、ガンジー否定派からも認められている行動です。
冒頭で述べた通りマハトマ・ガンジー誕生日の10月2日は、祝日となっています。
尊敬されていない人物の誕生日がその国の祝日になるはずもなく、第2次世界大戦後に、インド独立を成功させたのは紛れもない事実ですから・・・・♪
この記事で言いたかったことは、日本人がイメージしているほど、世界的には敬われていないということです。
ガンディーが額に手を当てる描写を観たことある人は多いでしょう。
銃で撃たれた直後の行為ですが「あなたを許す」という意味が込められています。
「自分一人の行動は小さなことでも、行動したという事が重要なのだ」
と名言を残しています。
このようなインドの歴史を知ってから渡印すると楽しく観光が出来るのではないでしょうか?
コメント