
ナマステ、旅ブロガーのファインです。
日本人にとってインドで一番有名な人物と言えば「マハトマ・ガンディー」ですよね。
マハトマとは、「偉大なる魂」という意味で、実は本名ではありません。
本人はそれを嫌って「バブージー(お父さん)」の愛称を好んだみたいです。
本名は「モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー」です。
ということで、今回は「マハトマ・ガンディー」について語ります。
ラージ・ガート:Raj Ghat
ヤムナー川のほとり、前回紹介した「ラール・キラー」の裏側にある墓地です。
ガイドブックによっては、ジャムナ川Jamuna Riverと書かれている場合もあります。
英語表記では「Yamuna River」と書かれており、ガンジス川最大の支流です。
1948年1月30日ヒンドゥ教徒に暗殺されたマハトマ・ガンディーが眠っています。
「ラージ・ガード」は、ガンディーの遺体が火葬された場所でもあります。
現在はインド国民の憩いの場所として記念公園となっています。
デリーに初めて訪れる方の多くは、「汚い街だなぁ」との印象を抱くでしょう。
そんな汚い街が嫌いな方は「ほっ」とできるかなり綺麗に整備された公園です。
暗殺された場所は、ここから5kmあります。
ラージ・ガート周辺に、オートリクシャーのドライバーが声をかけてきます。
「ガンジーが暗殺された場所へ行きたくないか?」
「日本人が好きだから、特別に安く連れて行っているぞ」
もちろん、嘘ですからね♪
彼らの本心を訳すと「日本人からは3倍の運賃をぼったっくってやる」ですからね。
ちなみに、黒大理石の慰霊碑があるエリアは土足禁止です。
デリーの日差しを浴びた大理石の上を裸足で歩くと、かなり熱かったです。
78歳で亡くなったガンディーが最後に「おぉ神よ」と言った言葉が刻まれています。
マハトマ・ガンディーの誕生日である10月2日は、祝日となっています。
入場無料
営業時間:6:30~18:00
アクセス:Access
最寄り駅:バイオレット線ジャマー・マスジット(Jama Masjid)駅
距離:約2.4㎞
所要時間:徒歩20分
最寄り駅:バイオレット線デリーゲート(Delhi Gate)駅
距離:約1km
所要時間:徒歩14分
国立ガンディー博物館:National Gandhi Museum
写真展示や遺品を中心に展示されている2階建ての簡素な建物です。
最期の日に身に着けていた白い布は、血痕がついたまま展示されています。
犯人は、ヒンドゥー至上主義者ナトゥラム・ゴドセ(Nathuram Godse)です。
カースト制度の最上位バラモンの位で、ガンディーを銃弾3発で殺害した人物です。
展示されている若き日のスーツを着たガンディーの写真に、つい2度見してしまいました。
白い布をまとったガンディーしか知らない人は本当に同一人物かと驚きますよ。
彼は、以外と言ったら失礼でしょうか、かなりイケメンだったのですよ。
敷地内にある足跡をたどると、ガンディーが暗殺された場所へとたどり着きます。
神聖な場所なのでしょうか?屋根があり、入場できなくなっていました。
ファイン的には、電話でガンジーの声が聴けるといったものが一番興味をそそりました。
営業時間:9:30~17:30
料金:無料
定休日:月曜
上記の「ラージ・ガート」から徒歩8分
<ガンディーはあまり尊敬されていない?>
日本人のガンディーに対するイメージは、「塩の行進」や「非暴力」「不服従」です。
インド独立の父と言われており、インドで尊敬されていると思っている日本人は多いでしょう。
誕生日10月2日が祝日になったり、インド紙幣に使用されているとそう思いますよね?
しかし、実際はインドではそうでもないようなのです。
インド紙幣
<ガンディーが尊敬されていない理由>
①ガンディーを殺害したゴドセーの神社が作られている(現地では尊敬されている)
②子供のころは不良で、タバコや盗みもするような素行の悪い人物だった
③裕福な家庭の次男で、召使いのお金を盗む行為をしていた
④成績も悪く、ヒンドゥ教で禁止されている肉を食べていた
⑤極度のセックス中毒者で、父親の介護中もセックスをしている間に亡くなった
⑥13歳で結婚し、妻を許可なく外出を禁止し軟禁した
⑦結婚後も、独身と偽り女性遊びが盛んだった
⑧「インド人は黒人よりはるかに優れている」とアフリカの黒人差別発言した
※黒人差別発言が問題になり、アフリカではガンディー像が次々と撤去されています。
⑨カースト制度に賛成した
⑩カースト制度でガンディーは「ヴァイシャの階級」で高い階級ではなかった
⑪パキスタンを分断させ(後にバングラデシュも)インド統一独立に失敗した
⑫宗教間の争いをなくそうとしていたため、イスラム教徒と寛容に接していた
⑬ガンディー崇拝者から、色々と○○を受けるので仕方なくガンディー派になっている
ガンディーの像
上記の理由以外にもたくさんあるのですが、事実か微妙なので一部のみ抜粋しました。
塩の行進:Salt March
イギリス植民地時代に、塩の専売に反対し塩をインド人が作ることを目的とした行動です。
塩をイギリス人だけが作れるというルールに従わず、自分たちで塩を作る目的で、
アフマダーバードからダーンディー海岸まで386kmも行進した抗議行動のこと。
1930年3月12日から4月6日までの24日間、ガンディーは非暴力を貫きました。
塩の行進はインド独立運動のきっかけとなり、ノーベル賞に5回もノミネートされました。
<塩の行進のテーマ>
①非暴力
②不服従
この2つを貫き数十人から数百人、そして海岸に到着するまで約10万人まで増えたのです。
海岸に到着して、塩を作り始めたインド人に対して、イギリス人が暴力で阻止しました。
ガンディーが世界中の記者を呼び、無抵抗で殴られる光景を記者たちに見せ続けたのです。
24日間暴力を無抵抗で受けながら歩き続けたニュースが、世界中に流れました。
<ガンディーの手紙>
塩の行進を始める前に、インド総督に出した手紙の一部です。
もし私の手紙があなたの心に訴えることができなければ、今月11日、塩法の規定を無視するために、私アーシュラムの同僚たちと一緒に行進します。私は塩の専売制度を最も貧しい人々の観点から邪悪な法律だと考えます。独立運動は本質的にこの国で最も貧しい人々の為にあるので、独立運動は悪法という悪に対して始められるのです。
糸を紡ぐ行為
ガンディーが自らチャルカーと呼ばれる糸車で手紡ぎしたインド独立運動の象徴です。
歴史の教科書で、ガンディーが糸を紡ぐ写真を見たことある人も多いでしょう。
ただ、この写真の意味を知らないずにインドを訪れると印象が変わるかもしれません。
これは、イギリスの大量生産の安い服を買わない、との不買運動の意味が込められています。
インドの手仕事と伝統を取り戻す強い信念が込められています。
つまり、インドを自分たちの手に取り戻すためのインド独立運動なのです。
彼は弁護士のスーツを脱ぎ、伝統的な白布のKhadi(カディ)を身にまといました。
当時のイギリスは産業革命の絶頂期で、機械で安くて質のいい服を大量に生産していた時代です。
英国製品の不買運動では、6,000人以上が投獄される事態となりました。
<ガンディーの残した言葉>
「Khadi is not just a cloth. It is thought」
翻訳:カディはただの布ではない。思想である
ここまで読んでいただきありがとうございました。
追伸
今回ご紹介した「マハトマ・ガンディー」についていかがでしたでしょうか?
激しい差別に弁護士として戦ったガンディーが、尊敬されていないわけではありません。
日本人がイメージしているほど、海外では敬われていないということです。
ガンディーが額に手を当てる描写を観たことある人は多いでしょう。
銃で撃たれた直後の行為ですが「あなたを許す」という意味が込められています。
自分一人の行動は小さなことでも、行動したという事が重要なのだと名言を残しています。
このようなインドの歴史を知ってから渡印すると楽しく観光が出来るのではないでしょうか?
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